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2日目のベルばらカレー、パート2 [そうかずほ]

雪組、東京公演がスタートしました。
雪組の皆様、初日おめでとうございます。

私は本日、ベルばらフェルゼン編のmy東京初日でございました。

前回の記事にも書いた通り、納得いかないというか、理解出来ないまま帰京してしまい。
本当はするまいと思っていたのですが、まず原作を読み直してみました。
人の記憶って自分に都合のいいようにどんどんねじ曲げてしまうので、私は原作のフェルゼン像に夢を抱きすぎていたのかな、と思いまして。
でも原作読んで、ますます幻滅するかも!とも思ったのです。難しい。読んでみないとわからない。

で、読み直した結果。
読んでよかった、と思いました。
但し、原作を読んだことで、今回の超継ぎ接ぎ脚本を図らずとも補完してしまい、そもそもの脚本のダメさによる罪が幾分軽くなってしまったことは悔やまれました。
まぁこれから何公演か見るので、見やすくなってよかったとは思いますけど。なんか悔しい。

そして。私のフェルゼン像は間違っていなかった、と思います。

フェルゼンは、思慮もあり分別もあって、貴族としての気品とプライドもあって、それでいてしなやかで華やかで情熱的。
王妃を愛してはいるけれども、その愛の形はとても抑制が利いた、それこそフェルゼン編が始まる前にかじり読みした「騎士道」というものに通じるものもあるのかなと思い。
何よりも、マリーやオスカルに比べて、とても大人の男として描かれていました。
ジェローデルととても通じるところがあり、それがベルばらでいう貴族の男なのかなと。
アンドレの耐える、とまた違うのですよね。

大劇場で見た壮さんのフェルゼンに、私は「抑制」を感じなかったのだと思います。
誰かを好きになる、ということがどれほど止められないものなのか、私もわかっているつもりです。
でもそれを堪えるところに、フェルゼンとマリー・アントワネットの道ならぬ恋の苦しさと辛さ、そして美しさがある。
抑制されたものの美しさを求めたとき、抑制されていないものはきっと美しく見えないものだと思います。
私はそういう風に、あのベルばらを、あのフェルゼンを見たのです。

それから、1ヶ月が経って。

新生雪組のフェルゼン編は、宣言通り、進化していました。
その感想が、タイトルの「2日目のカレー」。
ベルばらなのにカレーかい、ですが。はは。
ちなみにパート1はカナリアでした。
冗談はさておき。
作品全体がまろみを帯びて、あたたかいものが膨張していくような雰囲気の中で演じられていて、本当にいい意味で慣れてきたんだなと感じた公演でした。

そして、壮さんのフェルゼンもまろやかになって、愛と情熱のままにひたすら若く突っ走る感じがなくなって、一段と深く大きくなられたような気がしました。
だって劇中のフェルゼン様、年齢にしたら37歳ですから(あらどっかの誰かさんと同い年だ)、やっぱりちょっと大劇場のフェルゼン様は若すぎた(あるいは歳の割に子どもだった)のだなと。
と、同時に。
この公演中に、もしかすると私のイメージしていたフェルゼン像を超えるのかもしれない、とも思いました。
壮一帆は、そういう役者ですからね。恐ろしいわ、マヤ。(え)

未だに一個だけひっかかっているのは、「愛に帰れ」。
これは歌詞そのものが根本的に理解出来ないのです(今でもうまく掴めないでいます)が、国境の場面をほとんど無視して思考に没頭(おいおい)した結果、以下長文。
身を引くことも愛だ、と思ってスウェーデンに帰国したものの、王妃様とフランスのことが頭から離れず、忘れよう忘れようとしていたところに、危険を冒してあのジェローデルが訪ねてきて、オスカルもアンドレも死んでもはやフランスは崩壊してしまい王妃様も危険にさらされている、と助けを求めてきたことで、ああ、神様は俺にフランスにやり残したことがまだあるだろうとおっしゃっているのだ、だから俺は愛を教えてくれたフランスの地にもう一度帰り、俺のやり残したことをやり遂げてこなくてはならない。
と、解釈したのですが、そういうことなのですよね?きっと。

教えられたり、導いたりする「声」が一体なんなのか、ずっとわからなかったのですが、神の声なのかと思うと、多少しっくりは来る気がして。
メロディや壮さんの歌唱自体は非常にいい歌だ、と思うのですが、歌詞を聞いてしまうとぜーんぜん意味がわからなかったので(なんて乏しい理解力)ここは問題を解決せねば私は安心してこれからの東京公演を送れない、と思い、きんぐの大事な出番をほとんど見ることが出来ませんでした。
ごめんね、きんぐ。

あ、あと、メルシー伯との場面。
お芝居もだいぶ抑制されて、貴族同士の、でもメルシー伯に諭される若者・フェルゼン、という図が見えてきた気がしました。
まぁ、未だに「あなたは間違っている!」というフェルゼンの台詞に、いや、間違ってるってちょっと言いすぎでしょ・・・と突っ込んでしまう私ではありますが。
しょうがない、そういう脚本です。
で、こちらの本題はビジュアル。
恐らく衣装下の補正を変更したのかと思うのですが、フェルゼン様の胸板がとっても厚くなられ・・・!!!
全然女の子に見えませんでした!立派に男性でした!
立ち姿も男性特有の堅さがあって、非常にお美しかったと思います。
あんなに胸板補正したことって、壮一帆史上、ないんじゃないでしょうか・・・
マッチョな役って当たったことないものね。キャラじゃないから(笑)

他の生徒さんも、皆さん大劇場から一段と進化されていましたが、なんと言ってもあゆっちのマリーの進化っぷりがすごかった。
庭園の場面、大劇場では女や妻には見えても、やはり「母」には今一歩見えなかったのですが、今日のあゆっちにはどことなく大きな包容力がありました。
「母」でもあり、でも「妻」であり「1人の女」であるという不安定さを、その包容力が完成させたような気がしています。
この人もこれからまだまだ変わっていくのでしょうね。面白い。
それと、咲ちゃんのアランがどことなくどっしりと存在感を増したような気がしました。
前は大ちゃんやがおりに食われていたけど、そういう感じがなくなったというか。
本当にちょいちょいしかない(しかも時系列的つながりのない)役なので、とても難しいと思います。
でもオスカルが死んだとき、剣を胸に当てて黙祷するアランに涙しました。
まつドレも随分まろやかに、そして少し若く(!)なられましたね。
相変わらず、今宵一夜は腰の破壊力満点です。あの振り付け、よく考えてくださった。。。
あ、そうそう。翔くんのベルナールも指導者らしい自信とカリスマ性のようなものが少し見え始めていました。
とても苦労しているようなので、ぜひこのまま諦めずに前進していただきたいものですね。

フィナーレも相変わらずすばらしく・・・!!
愛の棺、聞けば聞くほど、見れば見るほどハマっていきます。
私、あのシーン好き!!
その流れのデュエットダンスも、2人の関係性に安定感が見えてとても素敵でした。
銀橋でご挨拶する直前、暗闇の中で手をつないだままでいるところが大好きです。(細かい)
オマージュは、言わずもがなです。
息が止まってしまいます。
あんな神聖な気持ちになるほどの迫力のあるシーンを、毎日やっている雪組生がすごい。

と、言うわけで。

私の中で、my初日に気持ちの整理を付けられて、ちょっとほっとしました。
これでBASARAに逃げなくて済みそうです。
いや、BASARAも楽しみすぎでムヒムヒしちゃいますけどね♪
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